KH Chronicle

1975年生まれ。サッカーのことを多めに書いています。医療と経済にも興味があります。

【Book】推し、燃ゆ

芥川賞受賞作の「推し、燃ゆ」を読了しました。


推し、燃ゆ

推し、燃ゆ


純文学です。純粋に文章を楽しむための純文学です。なんでしょうか、35歳くらいを超えてこういう純文学を読む経験というのは、特に男の場合はだんだん少なくなってくるのではないでしょうか。私がこの本を読もうと思ったのは、村上春樹の以下のインタビュー記事がきっかけ。


大体において文章があまり上等じゃないですよね。いい文章を読んでいい音楽を聴くってことは、人生にとってものすごく大事なことなんです。だから、逆の言い方をすれば、まずい音楽、まずい文章っていうのは聴かない、読まないに越したことはない。

引用元:ユニクロ | LifeWear magazine | 村上春樹に26の質問


「村上春樹がSNSをやらない理由は、大体において文章があまり上等じゃないから。」このコメントは私にとって結構衝撃でした。そうか、SNSを見ているとたまに心がクサクサしてくるのは、その内容もあるのかもしれないけど、文章そのものがあまり上等じゃないからか。


ちょっと違うかもしれないけど、日経新聞の文章は読みやすい。よく考えられていて複数の人のチェックも入っているので、誤字・脱字もない。そうか、そういうことか。私は「上等で考え抜かれた文章を読みたい」人間なのか、と村上春樹の上のインタビュー記事を読んで衝撃を受けました。また、「人間にとって教養とはなにか」を読んだのも影響がありました。


人間にとって教養とはなにか (SB新書)

人間にとって教養とはなにか (SB新書)


「人間にとって教養とはなにか」の中で、「なぜ文学が人生にとって大事なのか」という件がありました。以下、引用します。

相手の心は、切り開いてのぞきこむことができない。相手のふるまいや言葉など、表に現れるものから、相手が何を思っているのかを推し量らなくちゃいけない。だけど、相手は自分とは違う人間だ。別の感情、別の思考回路をもっている。漠然と相手の立ち居振る舞いや言葉に触れているだけでは掴みきれません。そうなると、相手を理解するためには何かしら「補助線」が必要だ。数学の図形問題では、補助線一本引いただけで答えが見えてくることがありますね。それと似た役割を、人間関係において果たすのが文学なんです。

橋爪 大三郎. 人間にとって教養とはなにか (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1092-1097). Kindle 版.


純文学は、私は単に物語を楽しむだけのエンターテイメントだと思っていましたが、村上春樹のインタビューや橋爪さんの教養話を読むとそうでもないんだなと考えを改めました。より人間に深みを与えてくれるものらしい。


で、そのタイミングで「推し、燃ゆ」という若い女性が書いた小説が芥川賞を受賞したというニュースがありました。もう自分の中で読む体勢は出来ておりました。


感想

「推し、燃ゆ」というタイトルからもわかる通り、この本の主人公はアイドルの男の子を追いかける女子高生です。そんな「推し」がある日、ファンの女の子を殴った、というニュースでSNSが沸き立ちます。いわゆる「炎上」です。そこからその主人公の女の子がどう考え、どういう行動を取るか。また推しにひたすら出費することに対して、家族とはどういう関係になっているか。微に入り細に入り描写があります。印象に残った文章は以下でした。

携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。

宇佐見りん. 推し、燃ゆ (Japanese Edition) (Kindle の位置No.557-560). Kindle 版.


ふと考えると私にも「推し」があります。浦和レッズですね。私もよくこのブログやSNSに浦和レッズのことを書き込みますが、私が書き込んだからと言って、クラブが何かアクションを起こすかというとそんなことはない。関係性が崩れることもない。「推し」との関係性は一般的には一方向です。その隔たりが逆にいいと、この主人公は感じていて、そうか、言われてみれば私もきっとそうだなぁと思いました。


単純に書けば1行で終わるような事象を、文学はキレイな文体で細やかな情景描写とともに書かれます。それはネットではなかなか味わえない素晴らしい体験なのだと、久しぶりに純文学を読んで感じました。引き続き純文学は継続的に触れていこうと思っています。