浦和レッズを応援するために行ったサウジアラビアですが、H.I.S.さんの提案でリヤドの半日観光がありました。その中で行ったのがマスマク城。日本語の上手なサウジアラビア人のガイドさんが説明してくれましたが、日本に帰ってきてから自分でも調べてみました。
ガイドの方が、やたらと「第3世代のサウジアラビア」と言っていたのが印象的でした。何が第3世代なのか、よくわからなかったため、ここを自分で調べました。
第1世代のサウジアラビア
Wikipediaに頼りました。まず第1世代は、1744年〜1818年。リヤドのあるナジュド地方からサウード家が軍事的、宗教的なキャンペーンを興しました。ここからサウジアラビアの歴史が始まります。
キャンペーンを興したナジュド地方は、サウジアラビアの比較的右側にあります。
ここから徐々に勢力を拡大し、左の方にあるイスラム教の中心、メッカとメディナを陥落させました。このサウード家というのは、イスラム教の中でもワッハーブ派という人々で、スンニ派に属します。
当時、メッカとメディナはオスマン帝国が守護者と自認していました。サウード家は、イスラム原理主義者で、メッカやメディナであまりお行儀が良くなかったようです。というわけでオスマン帝国を怒らせてしまい、エジプト軍がサウード家を攻撃してきました。結局オスマン帝国が勝利し、第1世代のサウジアラビアはここで終了です。
ほぼ全てWikipediaの情報ですので、そこはご容赦下さい(苦笑)。
第2世代のサウジアラビア
オスマン帝国とエジプト軍に滅ぼされたワッハーブ派ですが、サウード家の生き残りとともにリヤドからまた国を興します。1824年〜1891年のことです。この時代は、外からと言うよりも内紛があったようで、結局ラシード家という別の王国によってこの世代のサウジアラビアは滅亡してしまったようです。
第3世代のサウジアラビア
ラシード家に追われて、クウェートに逃亡していたサウード家ですが、再びリヤドに戻ってきて戦いを始めます。1度は失敗しましたが、2度目はこのマスマク城を陥落させることにより実権を取り戻しました。
マスマク城が観光で案内されるのは、この第3世代のサウジアラビアにおける象徴だからです。ここから国が始まったと言っても良い場所だからです。
当時使われた武器が展示されています。
この記事を書いていて、思ったのがリヤドというのはサウード家の本拠地みたいなところで、サウジアラビアの元となっている地域です。
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サウジアラビアに行く前にこの本を読んだのですが、この作者によるとサウジアラビアは国家としての意識が薄い、と言うことが書いてありました。ただ、リヤドで接した人々はサウジアラビアの歴史について語り、自分はサウジアラビア人だということを示していたように思えます。
と言うことは、このリヤドと左の方にあるメッカやメディナ、ジッダはまた雰囲気が違うんだろうなぁと思えます。メッカやメディナはオスマン帝国の保護下が長く、リヤドとはまた違った歴史であろうと思われます。
そういう意味で、リヤドはサウード家のお膝元、サウジアラビアを感じるにはとてもお勧めの地域と言えるのではないかと思います。ちなみにサウジアラビアの「Saudi」というのはサウード家を表す言葉だそうです。