タイトルの通りですが、2006年にインサイダー取引で逮捕された村上世彰さんの著書、「生涯投資家」が面白すぎるのです。今朝からKindleで読み始めまして、16%まで読みました。出だしからぐいぐいと引き込まれます。でもよくみるとWikipediaにだいたい載っていました(笑)。
村上世彰さんといえば、2000年代前半に一世を風靡した人物です。私はこの時は未だ経済・金融に興味がなかったので、面白い人がいるもんだなという認識でした。一番思い出すのが、「金儲け、悪いことですか?」という名言でしょうか。
こういう、メディアに叩かれつつも、その実力を隠しきれずにまた這い上がってくるような人は、何かあると思い、本を読んでみることにしました。すっごい面白いです。投資が好きな人は読んでみると良いです。
子どもの頃、預金通帳に印字された数字が増えていくのを見るのが好きだった。だからよく父に、「お小遣いちょうだい、ちょうだい」とせがんでいた。使いたいからではなく、貯めるためにお金が欲しかった。お小遣いをもらうと口座に入れ、通帳に刻まれる残高を眺めていた。
なんて子どもでしょうか。おもちゃを買うのが好きなのではなく、通帳にお金が貯まっていくのが好きだったのだと。
両親は、私が大学に入るまで毎年十一万円を贈与し、私の名義で株を買い続けてくれた。なぜ十一万円かというと、当時は十万円までの贈与は非課税だった。十一万円なら千円の贈与税が必要なので、納税記録が残る。将来、私の財産だということが証明しやすくなるからだ。
この親にして、村上世彰ですね。お父さんは有名な投資家だったようで、一番影響を受けているとこの本でご本人が語っています。
これらの株は自分で売買させてもらえなかったし、意見もできなかった。それは私名義の不動産を購入する目的だったからで、一九八〇年に港区高輪のペアシティルネサンスというマンションを買うために使われた。当時、東京で一番高級と言われた物件で、テニスコートもついていた。新婚の山口百恵さん夫妻も住んでいて、よくご挨拶させていただいた。
本にここまで書いていいのでしょうか。山口百恵さんに断っているのでしょうか。すごいです。ここから出身校の東京大学に通っていたそうです。Wikipediaによるとポルシェで通っていたそうです。東大にポルシェで通う大学生も珍しいのではなかったでしょうか。
私が自分で株への投資を始めたのは、小学三年生の時だ。ある日、父が百万円の帯付きの札束を置いて、こう言った。 「世彰は、いつも小遣いちょうだいと言うが、いま百万円あげてもいい。ただしこれは、大学を卒業するまでのお小遣いだ。どうする?」 見たこともない大金を目の前に、私は興奮した。それでも冷静になって、計算した。 「お父さん、大学卒業までだったらあと十四年もあるから、百万円じゃ少ないよ。大学入学ならちょうど十年だから、年間十万円になる。だから、大学に入るまでのお小遣いにして!」
小学3年生で株式投資を始めたのも驚きですが、計算も速い少年だったようです。100万円を目にしたら、そんな計算どうでもよくなる気がします。
高校生の時には、同和鉱業という仕手株に投資した。石油ショックの影響で、金の価格が上昇し始めた時だった。同和鉱業は、自社で金の鉱山を保有している。金の価値が上がればこの会社の株価も上がるのではないかと期待した私は、一株四百円くらいで二千株、合計八十万円分買った。するとしばらくして、連日ストップ高となった。毎日百円ずつ上がり、二十万円ずつ含み益が増えていく。その快感で、株価チャートを見ることが楽しくて仕方なかった
鬼です。高校生にしてすごい投資センスです。著書の中で、「自分でも投資センスはあると思っている」と書いておりますが、マジですごいセンスです。
父はいつも「上がり始めたら買え。下がり始めたら売れ。一番安いところで買ったり、一番高いところで売れるものだと思うな」と言っていた。まさにその通りだった。
これ、今日の金言ですね。私もこれに従います。すごいお父さんです。良いお父さんだと思います。
父と二人きりで過ごした三週間の旅行はとても刺激的で、私はすぐに父の後を継いで投資家の道へ進む気持ちを高揚させた。しかし父は、強く言った。 「国家というものを勉強するために、ぜひ官僚になれ」 このアドバイスに従い、結果として十六年間の役人生活を送ることになった。私が投資家に戻るのは、四十歳を目前とした一九九九年のことだ。
村上ファンドを立ち上げる前、彼は通産省(当時)に勤めるお役人でした。この選択も父のアドバイスです。
このような面白い記述が、わずか始めの16%の中に入っています。実はハイライトをつけたカ所はもっとあるのですが、全部を引用するとすごい量になります。この辺に留めておきます。とにかく面白いので、皆さん読んで下さい。