KH Chronicle

1975年生まれ。サッカーのことを多めに書いています。医療と経済にも興味があります。

明日は3月11日

あまり感傷に浸る方ではないのですが、いろいろなところで「明日は震災から3年」という文字を目にしました。僕は幸いなことに地震が起きた時は自宅の近くで仕事をしており、「こりゃ、営業活動している場合じゃないな。」と思ったので、早々に帰宅しました。



神戸の震災を経験していたためか、「埼玉でこの揺れだと、震源地によってはエライことになるぞ、これは。」と感じたため、地震直後に岡山の実家に電話をして、まず無事であることを伝えました。おそらく電話がつながらなくなるだろうと思ったので、それも一緒に伝えました。

上のツイートは、地震の後に始めてつぶやいたものです。電気系統が不安定で、電気が消えたり点いたりしていました。一人で不安でしたが、みんなも不安だろうと思ってそんなに気にせず、テレビを見ていました。



上のように総務省消防庁津波に対する呼びかけをしていました。リツイートをして、伝達するようにはしましたが、個人的にはそんな大きな津波が来るとは夢にも思っていませんでした。このすぐ後ですよね、とてつもない津波が来たのは。



テレビで凄惨な状況を目の当たりにし、余震がぐらぐらきていたので、かなり動揺していました。これは大変なことになったと思いました。しかし、何が出来るって、ただただテレビを凝視するしか出来ませんでした。

地震から3年経っていますが、あのときの教訓として、携帯電話の予備電池を重くても常備するようになりました。しかもiPhoneを5回くらい充電できる大きめのものです。情報を得るのはもちろんですが、気を紛らせたり、ちょっとした懐中電灯の代わりにしたり出来ます。

つづく